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楽と快の違い(追記)

2016年1月追記

私の個人レッスンや、操体法東京研究会にて
「楽と快(きもちよさ)の違いがわかりません」という方がいらっしゃいます。

その時のことをブログに書いてみました。
楽と快の違いを伝えるのは、操体臨床家の役目です
(操体法大辞典より)

楽と快は違うというのは不変の事実だが、

もっとわかりやすく、

「操体では」

「楽な動きにに問いかける動診と操法と」

「快に問いかける動診を操法は」

「違います」「区別をつけています」

アナタが、楽と快の違いが分からなくても
操体指導者がちゃんと知っている。


それができるのが
操体指導者なのだ。

それをアナタに伝えるスキルを
学んでいるのが、操体のプロなのだ。

 

楽と快は違う、創始者橋本敬三先生はそうおっしゃった

 

操体の成り立ち

楽と快の違い
快は探すものではなく、出会うものである


私の「レーベンス・テーマ」(ライフワーク)は「楽と快の違い」をあきらかにすることです。

今までもブログなどで「楽と快の違い」について書いているので、是非そちらもご覧下さい。

また、東京操体フォーラム実行委員ブログでも執筆しています(2011年11月20日から26日まで畠山が担当)。

私の操体の師匠、三浦寛先生の担当は、2011年12月4日から10日です。

他の実行委員も興味深い内容を執筆しています。
実際、体験していただくと皆さん「全く違う!」と驚かれます。

 

「どちらがきもちいいですか」という誘導は、楽と快の違いを混同している

詳しく言うと、現在は「楽な動きか辛い動きか」と、二つの動きを比較対照する動診(第一分析)と、
一つひとつの動きにきもちよさをききわける、第二分析があります。
楽な動き(動き)と、きもちよさ(感覚)は、動診のやり方が違います。

私のところにいらっしゃる方の中で、一番多い悩みが

「どちらがきもちいいですか?」と聞かれても分かりませんでした、ということです

例えば、ぎっくり腰ではいつくばって来所したとします。
そこで「どちらがきもちいいですか」と聞かれたら、答えられないはずです。痛いから。

もうひとつ。
「どちらがきもちいいですか」という問いかけをしている指導者(講習をやっている方)は、
実際に患者さんを診ていないのではないかと思います。

さらにもうひとつ
「どちらがきもちいいですか」と聞かれ、「わからないから適当に答えて、行くのをやめた」
というケースも聞いています。


「どちらがきもちいいですか」「きもちよさを探して」という指導は、
橋本敬三先生はされていませんでしたし、操体のセオリー
(楽と快は違う、診断と治療の区別をつけること)に反しているのです。

「どちらがきもちいいですか」
「きもちよさを探して

あるいは、最初から、診断(動診)をせずに
「きもちよく動いて」というのは、診断をすっ飛ばしていることになりますから、
操体の臨床になり得ません。

言われたほうも、からだをごにょごにょ動かしてみることになります。
そうなると「きもちよさを探して動け」ということになります。

★きもちよさを探して動いても、「きもちよさ」はききわけられません。
診断分析で、きもちよさの有無を「ゆっくり動いて」
確認してから「きもちよく動いて」となるわけです。


楽と快の違い、を理解する前に「楽」と「楽しい」は違うということを認識する必要があります。
はづき虹映氏がメルマガでなるほど!ということを書いていらっしゃいました
(すぴナビ通信2011年10月11日、12日分より引用抜粋させていただきました。

「楽」と「楽しい」が違うように、「楽」と「快」も違うのです。

楽 ≠ 楽しい(楽と楽しいは違う)

「極楽」とは、あの世のことではありません。楽しさを極めると、ただ今、そこが「極楽」になります。
 
「極楽」とは、読んで字のごとく、「楽しさを極める」ことです。
 トコトンまで楽しさを追求すると、その時その場所が「極楽」になります。
 決して、あの世に行くことや、酒池肉林の快楽の世界に溺れることが、
「極楽」なのではありません。
 
「楽」と「楽しい」は、似て非なるものです。
 
「楽」をすることを「楽しい」と勘違いしてしまうと、 
どんどん「楽」な方に流されていくのが、自分でもわかるハズです。
 一方、「楽しい」ことを選び続けていると、 
時には辛いことも苦しいことはあるかもしれませんが、 
自らの意志で流れに乗っていることがわかるようになるハズです。
 勝手に「流されている」のか、 
それとも自ら積極的に「流れに乗っている」のかが、
「楽」と「楽しい」の違いです。
 
 
自らを監獄に閉じ込めてしまうことを「地獄」と呼びます。
「楽」な方に流されていく先のことを、人は「地獄」と呼び、
「楽しい」方向の流れに乗っていく先のことを、 
人は「極楽」と呼ぶのでしょう。
 
 

快は探すものではなく、出会うものである

 

東京操体フォーラム実行委員ブログ(2011年11月24日 畠山執筆分より)
 
「楽」と「快」の違い
「楽(なところ)」は探すと見つかる。「きもちよさ」は探しても見つからない。
「楽」は比較対照できる(相対的)だが、「快」は絶対的である。つまり比較するものではない。
 
「楽」は結果であり、「快」はプロセスである

操体の講習 なぜきもちよさを探す、のではないのか(ブログ 操体法大辞典より)