wdcro HTML Template

操体・操体法の実際

自力自療:

「操体って自分でできるんでしょ」という話をよく聞きます。
はい、自分でできます。

しかし、それにはある条件が必要です。
ある条件とは「本人にしかわからない感覚のききわけには責任を持つ」ことです。

「自分でできる」という言葉を「自分で動く」と勘違いしている場合があります。
自分で動いて治るのだったら、病気になる人はいないし、
私達のような専門家はいらないハズです。

なお、一人で行う操体法を「自力自動」と言います。

操体でいう「自力自療」とは「本人にしかわからない快適感覚をききわけ、
そのきもちよさを味わう」ということです。感覚は本人にしかわかりません。
それをききわけるのが「診断(動診)」
きもちのよさがききわけられたら、それを味わうのが「治療(操法)」です。

一人でやろうが二人でやろうが、百人でやろうが、
本人にしか分からない感覚をききわけ、味わうのですから、
皆「自力自療」なのです。

なお、「本人にしかわからない感覚をききわける力(ちから)」は、
「快か不快かをききわける力(ちから)」とも言えます。これを原始感覚と言います。
現代はこの原始感覚が鈍っていることが多く、
それが様々な症状疾患の原因となっています。
原始感覚が鋭敏になっていれば、自分のからだの不調や、違和感にすぐ気づくのですが、
鈍っているためにそれに気がつかないのです。

私達操体のプロは
「原始感覚を磨く」「原始感覚を呼び覚まし、育てる」
手助けをします。そのお手伝いの中心となるのが
「きもちよさを味わっていただく」ことです。

 

★「操体」の大きな二つの目的

元々操体は、橋本敬三医師が臨床(患者さんと対面して診断治療にあたること)
として用いられてきました。
筋ジストロフィーの患者さん、あるいは膠原病の患者さんのからだが、
ボディの歪みを正すことによって、症状が改善していく様子がNHKで放映され、
橋本医師の元には、日本中から医師に見放されたような患者さんが集まりました。

 

本来、健康であれば、自力自療のセルフケアで間に合うのですが、
間に合っていない人のために、操体の専門家(医療者)が存在します。
間に合っていないレベルから、間に合っているレベルまで、
健康度合いをアップさせるサポートをしているのです。

もう一つは、健康な人(間に合っている人)が病気にならないための「未病医学」
として、生活に活かし、健康維持増進をはかるというものです。
健康体操、養生法としての指導、セルフケアなどがこれにあたります。

大雑把に考えて、
「間に合っている人向け」「間に合っていない人向け」という目的があり、
間に合っていない人は、間に合うようになるまで専門家のサポートを受け、
その後は健康維持増進のために生活に活かすということです。

また「間に合っている人」は、日々の健康維持増進にますます活かすことができ、
健康維持増進のみならず、「身体運動の法則」の体得によって、
パフォーマンスの向上などにも操体を活かすことができます。

この二つを混同しないことがポイントです。
間に合っていないレベルにある方が、自力自動のセルフケアを試みても、
悪くなることはないかもしれませんが、専門家の手を借りたほうが、
正確に、迅速に「よくなる軌道」に乗ることができます。

実際受けてみる

それだったら、受けてみれば、やってみればいいのですが、
やはり受ける前は色々心配があると思います。
その前に、どんな事をするのか、どうやって治るのか、簡単に書いてみましょう

この宇宙には天然自然の法則というものがあり、それを知ると、健康で幸せに暮らせますよ、ということ

  • 天然自然の法則を知ること(息食動想)
  • 法則違反をすると、60%くらいまでは見逃すけれど、それを下回るとボディーが歪むということ
  • どこか悪いからボディーが歪むのではなく、ボディーが歪むから悪くなるのだということ
  • ボディーの歪みを正すには「きもちよさ」が一番のくすりだということ

この「きもちよさ」を味わうために、操体指導者はどんなことをするのかと言うと、
診断分析を行います。
操体臨床の95%は「診断分析」にあるといっても間違いありません。視診、触診などです。

2010年 Sotai Forum in Madrid でのデモンストレーション。膝窩(しつか)の圧痛硬結の触診。

  • 初診の場合は、緊張の緩和と診断分析のために、足趾の操法を行ったりする(当研究所)

足趾の操法のデモンストレーション。立位でベッド、床に正座して行うこともあります。普段は床に正座スタイルが多いです

  • 一つ一つの動きを、ゆっくりと表現していただく。操者は動きの安定や連動の促進、感覚のききわけを促すために、介助、補助、言葉の誘導などを用いて助けとする
  • 感覚をよくからだにききわけていただき、きもちよさがききわけられたら、そのきもちよさを味わう。

★きもちよく動く、のではなく、ゆっくり動いて、きもちよさがききわけられたら味わう、あるいはきもちよさをききわけた後に「きもちよくからだを操って」ということ。

同じくマドリッドにて(操者三浦先生、モデル畠山)。
左上肢を前方伸展(前に伸ばす)という動きをとり、快適感覚の有無をききわけている。

同上。被験者は伏臥位。膝二分の一屈曲位にとった被験者の両足底に介助を与え、この場合は右足を挙上させることによって快適感覚の有無を問いかけている。

2010年 東京操体フォーラム in 京都のデモより。足関節の内転。

同上。被験者の両手を外転に「決め」、挙上させる。
この場合被験者は左手を挙上し、全身で表現し、
快適感覚の有無をききわけている。
後ろに立っている三浦先生の厳しい目線に注目(笑)。

  • 本人にしか分からない「感覚」をききわけていただくのが「診断(分析)」
  • ききわけたきもちよさを味わっていただくのが、「治療(操法)」
  • 操体が自力自療というのもこのため。

★自分で動くから自力自療なのではない。
自分にしか味わえないきもちよさを味わって良くなるので自力自療となる

この時、受ける人がすることは

  • ゆっくり動くこと
  • (本人しかわからない)快適感覚をききわけ
  • (本人しか味わえない)快適感覚を味わう

ということだけ。操者は色々忙しいのですが、受け手はリラックスしていればいいのです。
 

きもちよさがわからない、ききわけにくい場合は?

  • 最初は、足趾の操法などで「きもちよさ」をききわける練習をするのも効果的。
  • 足趾の操法は、それだけでもきもちよさを味わい、癒される臨床でもあります

 

急性の腰痛、あるいは動けないなどの場合

  • 皮膚へのアプローチ。刺激にならない接触によるアプローチを行います。
  • 引っ張る、押す、絞る、捻るなどの皮膚刺激ではありません。

何故、ボディが歪むのか

何故、ボディが歪むのか?

皆、ボディの歪みや、偏った姿勢が良くないことを知っています。しかし、何故ボディが歪むのか?
という、ボディが歪む理由については

  • 姿勢が悪いから歪む
  • カバンを片側で持つから歪む
  • 猫背だから歪む
  • 性格?
  • 靴のせい?
  • 膝が悪いから?

など、今ひとつ理由を挙げることが難しいと思います。

「姿勢が悪いから歪む」と言えば、
「じゃあ、何で姿勢が悪くなるの?」
「猫背だから」
「じゃあ、何で猫背になるの?」
「う~ん、いつも背中を丸めて歩いているから」
「じゃあ、何でいつも背中を丸めて歩いているの?」
「う~ん・・・・」

操体では、ボディの歪みを正すことによって、二次的に症状疾患を解消することを目的にしているので、何故ボディが歪むのか、という問いに対しても明確な答えがあります。

生命エネルギーのインプットとアウトプット

人間には、他者に代わってもらえない、自律可能(コントロール可能)な営みが4つあります。

  • 息(呼吸)

  • 食(飲食)

  • 動(身体活動)

  • 想(精神活動)

 

これらの4つの営みのうち、「息」と「食」は生命エネルギーのインプット(入力)と言います。「動」と「想」は、生命エネルギーのアウトプット(出力)と言います。呼吸と飲食は入力であり、身体活動と精神活動は、活動なのでアウトプット(出力)になります。

この4つの営みは「同時相関相補連動性」と言います。

文字の如く、お互い相関し、補いあい、連動しています。

呼吸を例に挙げてみましょう。
立位で呼吸を試すと、足底にかかる体重が移動するのがわかると思います。息を吐くと体重がつま先側に寄り、吐くと踵側に移動するでしょう。また、深呼吸をすると胸郭(肋骨)が動きます。肋骨は脊柱を柱とした鳥かごのような造りになっているので、肋骨が動くということは、脊柱も動いているのです。

面白いのは、どれかの営みが良くなると他も良くなってきて、どれかが悪くなると他も悪くなってくる、という法則です。

操体は、主に「動」を扱うように見えますが、実はこの4つのバランスを診ているのです。現在は、呼吸(呼吸法など)の専門家、食養の専門家、身体運動の専門家、心理カウンセラーやセラピストなど、「息」「食「動」「想」それぞれに専門家がいますが、操体は「息食動想」を別々のものとしてみているのではありません。むしろ一つの事だけに固執するほうが不自然です。もっとも、からだ(自然法則)は、どれか一つの営みが良くなると、他の3つのバランスも高めてくれますが、「固執する」というのは、身体に負担がかかる運動を「努力」と称してやったり、無理な食事制限を行ったりすることです。

原始感覚

原始感覚とは、「快か不快かをききわけるちから」のことです。先程の「固執」にも通じてきますが、自分の感覚を信頼せずに、文献やデータなどを鵜呑みにするのも固執です。現代人は原始感覚が鈍りがちです。特に最近は「食」の情報が氾濫しているため、何が自然なのかわかりにくい状態になっているのではないでしょうか。

例)

からだは穀物を求めているのに、情報に惑わされて特定の食べ物でダイエットをする
その人の体質だと、お酢は控えたほうがいいのに「お酢はからだにいい」と思い、飲み続けている

橋本敬三先生は、今昭宏先生が温古堂に出勤した初日(三浦先生も同席していたそうです)

「今君、患者には原始感覚以外教えるな」

と言われたそうです。これは「きもちよさ」「快適感覚」とも、「生命感覚」とも言い換えられるのではないかと思います。操体は「原始感覚を磨く」感覚の勉強とも言えるでしょう。

 

呼吸は4つの営みの中で、一番生命に直結している営みです。橋本先生の「万病を治せる妙療法」に、寝る前に床の中で行う『ハラの座った男になる法』というのが紹介されています。これは、寝る前にやる「鍛錬」です。呼吸は意識して鍛錬することもかのうですが、生きている限り、意識しなくても呼吸のシステムは働いています。「鍛錬」と「不随意的」は別々に考えるべきです。

橋本先生が現役の頃の操体を、私達は「第1分析」と呼んでいます。第1分析とは、対なる二つの動きを比較対照し、辛い方から楽な方へ動かし、可動域最大か、一番感じがいいところで動きをたわめ、2~3秒後に瞬間急速脱力に導くことを言います。

橋本先生が1976年頃にホテルオークラ東京で、セミナーをされた際の白黒の映像が残っていますが、それをみると、橋本先生も、瞬間的に脱力できない患者に対して、何度も力を抜かせているのです。つまり、瞬間急速脱力は結構難しいのです。そこで、力を抜かせやすくするために、「腰から力を抜いて」とか、「息を吐きながら力を抜いて」という指導をされていたそうです。

それがいつの間にか「操体は腹式呼吸をしながらやる」「腹式呼吸で力を抜く」というように広まったところもあるようですが、橋本先生ご自身は、後年近しい弟子達に、

「呼吸は自然呼吸でいい」

と言われています。これは、呼吸に意識を起きすぎると、感覚をききわけにくくなるからだそうです。

人間の食性と歯の数を考えると、成人で親知らずを除いて歯は全部で28本になります。そのうち門歯は8本、犬歯は4本、大臼歯、小臼歯をあわせて16本です。門歯は野菜、犬歯は肉、臼歯は雑穀、海藻、果物、芋類、豆類に適しています。この割合を考えると、

犬歯4:門歯8:臼歯16=肉1:野菜2:雑穀、海藻、果物、芋類、豆類4 という割合を導くことができます。人間の歯の数を考えると、肉類1に対して野菜2、雑穀、海藻、果物、芋類、豆類4が一番適しているのではないかということです。

私の師匠、三浦寛先生は、講習で「食」の講義の際、必ず「躾(しつけ)」の話をされます。昔はどこの家も丸いちゃぶ台があり、ちゃぶ台を囲んで食事をしていました。勿論正座で、姿勢を正して食べるのです。お箸の持ち方がおかしいと、お父さんから怒られます。迷い箸も勿論怒られます。だらだら長く食べていると正座している足が痺れてくるので「しびれをこくまで食べるな」と、怒られます。ちゃぶ台に肘をついても怒られます。食事の時間はマナーを教える躾の時間でもあったのだそうです。先生は、小さいお子さんがいる受講生には、ちゃぶ台での食事を勧めています。

 

食べ物に関しては、本人の体質や体調、住んでいる土地なども関係してくるので、「これがいい」「あれがいい」という情報に惑わされるのは危険です。「食」は原始感覚を磨くことができる場でもあります。

「頭で食べない」というのも大事です。知人の体験談ですが、若い頃玄米菜食をやったことがあるそうです。そうすると、肌は透き通るようにきれいになり、頭も冴えてくるのだそうですが、玄米菜食をしていない人に対して、見下すような気持ちになったので、やめた、と言っていました。他にも「友達を失うか、玄米菜食するか」と本に書いていた人がいましたが、食は心の問題にも深く関わっているのです。

ある機会があり、外国の方で、玄米菜食を実行している方に会ったことがあります。遠目に見ると確かに肌は白くてきれいなのですが、間近で顔を見たとき、正直言ってぎょっとしました。まだ30代そこらだと思うのですが、顔中皺だらけなのです。加齢によってできる自然な皺ではないのです。

からだにききわけて(原始感覚を磨いて)、好きなものを美味しくいただく、身の丈にあった食を取り入れていきたいものです。

身体運動の法則

★書きかけです

操体と美容健康効果。

操体を体験すると、イイコトがあります。

症状、疾患が解消するのは勿論ですが、操体はそれだけではありません。「こころの平静」
「美容健康効果」などもその一つです。

何より、私の周囲の操体実践者は、男女とも皆若々しい。
太った人はまずいません。

小泉今日子さんが「アンチエイジングって言葉が大嫌い」と発言していましたが、
これは、いわゆる「美魔女」とかなどのような、無理に無理をかさねた若作りがイヤだ、
とか「若さ至上主義」に対してということであって、決して「サボって放置でいい”という意味ではありません。
(2016年10月追記)

 

まずボディのバランスを整える(修得すれば自分でもできます)ので

姿勢がよくなる

身体運動の法則(からだの使い方、動かし方)が身に付く。

身に付くとどうなるか。

  • 作業効率がよく、疲れにくい
  • フォームが美しい

という、万事(スポーツでも芸事でも家事でも何でも)に応用できる「作法」が身に付きます。
一生使える宝物と言ってもいいでしょう。

原始感覚が目ざめる、感覚がするどくなる

原始感覚とは「快か不快かをききわける力」のこと。この感覚が鈍っているのが現代人です。
鈍っているために、自分のからだの声(不調や異常、あるいはきもちいい、という感覚)を
ききわけにくくなっています。

操体の創始者、橋本敬三先生は、晩年「動きよりも感覚の勉強をしなさい」と言われました。

操体をからだにとおしてゆくことによって、原始感覚が目ざめ、するどくなります。

原始感覚が目ざめる、するどくなるとどうなるか

  • きもちよさをききわけ、味わえるようになる(つまり、自力自動、自分で自分を治せるようになる)
  • 食欲をはじめ、からだの要求に素直に従えるようになる
  • 自分の「軸」ができる

快適感覚(きもちのよさ)によるからだの変化

 

  1. 顔色(血色)がよくなり、表情が明るく穏やかになってくる。
  2. よく眠れるようになり朝の目覚めがよい(快眠)。
  3. 口にするものがおいしく食欲が出てくる(快食)。
  4. つうじがよく、気持ちよく便がでる(快便) 。
  5. 全身の血行がよくからだにみずみずしさがもどってくる。
  6. からだが温かく、寒さ暑さが気にならなくなる。風邪を引かなくなる。
  7. 発汗がよくなり、手の荒れがなくなって、皮膚がなめらかになる。
  8. 利尿がよくなる。
  9. 唾液がよく出る。
  10. 足の冷えがとれ、素足でいることが気持ちよく感じる。
  11. 疲労感が少なく、全身が軽くなる。
  12. 気分が爽快となり、なにか満ちたりて充実した気分になる。
  13. 目に入るものが明るく濃く、新鮮に見えてくる。
  14. 視線が上向き、一点に集中できる。
  15. 視線をそらさず相手の話を聞くことができる。
  16. 自分の考えや思いを率直に伝えることができてくる。
  17. 目の前の現象に腹を立てたり、不平不満をいわなくなる
  18. 言葉がやさしく穏やかになって、力強さが出てくる。
  19. 相手の立場がよく理解できるようになる。
  20. 心の中に対立するものを生まなくなってくる。
  21. 言葉をもたないイノチに心を向け、親しめるようになる。
  22. 感謝の気もちが芽生えてくる。
  23. 物事に対して前向きに意欲的に取り組む姿勢が出てくる。
  24. 物欲にとらわれない、あるがまま(ありのまま)の自分を表現しようとする。
  25. 動物的カン(直感)がするどくなる。
  26. 心の感覚器官が育ち、心は創造的になり、調和がとれ、十分に生きたいという意欲が湧いてくる

【快に従えばこうなる「快からのメッセージ」三浦寛 たにぐち書店 P77より】

 


アンチエイジングと操体

 

操体はアンチエイジングに有効である!と言ったら驚きですか?

まず、姿勢がいいというのが一番です。ご存じのように姿勢の良し悪しは、外見にも影響ありです。

90代になってもご活躍の方もいらっしゃいますし、
東京操体フォーラム実行委員メンバーの実年齢を聞いたら、びっくりするかもしれません。

このキーワードは「楽な動き」ではなく、「快」です。

操体相関関係図

橋本敬三先生にはじまる、操体関係者の相関図を作成中です。
というのは、橋本敬三先生は定例講習をされていたとか、ごく一部を除いては、内弟子をとられていなかったからです。

操体がブレイクした昭和50年代は、日本中から医者に見放されたような患者さんや、操体に興味を持つ専門家が仙台温古堂に集まったそうです。とにかく色々な人が集まり、橋本先生に会いに来られたという事実があり、そういう人達から「橋本先生から操体を習った」という話を聞きます。

橋本先生の著書にも書いてありますが、橋本先生はある人達を「温古堂ファン」と定義しています。
勿論ファンは必要ですし、そういう方からアドバイスをもらったりする場合もあり、大切にされていたようです。

以前、私はスペインの方とメールのやりとりをしていましたが、会ったこともないその人から、「私は先生の弟子です」と言われ、「私は指圧と操体の治療院をやっていますが、貴女の名前を屋号につけました」という連絡をもらって驚いたことがあります。
私でさえこんなことがあるのだから、橋本先生にもそういうことがあってもおかしくありません。

また、私の師匠である三浦寛先生は、橋本敬三先生の内弟子(橋本先生と奥様の寝室にまで入ることを許されていたそうです)ですが、23歳の時、橋本先生から「東京に行け」と言われ、7年間臨床を積み、30歳の時に操体の講習を始めました。これは今だに続く「操体法東京研究会」です。
橋本先生はこの研究会の顧問でもありました。

これは快療法の瓜生良介氏と、連動操体法の根本良一先生から直接聞いた話ですが、仙台に橋本先生を尋ね「操体を習いたい」とお願いしたところ、「東京に弟子の三浦がいるから、三浦に習え」と言われ、操体法東京研究会の定例講習を受けたそうです。
宴席で瓜生氏は「本当は橋本敬三先生に習いたかった」とおっしゃっていたのが印象に残っています。

この他、滝津弥一郎氏(故)、石井康智先生、奈良操体の会の北村翰男先生、長野の白澤誓三先生は、三浦先生の講習を受けて(あるいは受ける前に)仙台の温古堂に出入りされていたという話を聞いています。
仙台の今昭宏先生は、同時期に操体法東京研究会の定例講習を受けていて、三浦先生の推薦で、橋本先生の代診として温古堂勤務に至ったそうです。

なお、橋本敬三先生が「温古堂ファン」と本に書かれている茂貫雅崇氏、故佐藤武氏ですが、「右大臣」「左大臣」と呼ばれていたと聞いています。
私は両方にお会いしたことがありますが、茂貫氏は会社員時代、交通事故でムチ打ちになり、何をやっても治らなかったのに、温古堂で橋本先生の治療を受けて劇的な治癒を目の当たりにして、手技療法の道に入ったと聞きました。カメラや録音に詳しいので、橋本先生の講習の撮影などをお手伝いされていたようです。

佐藤武氏ですが、仙台のスポーツクラブの社長さんで、橋本先生には非常に尽力して下さったようです。
亡くなる少し前、サトウサンペイさんとの共著で『操体法入門』という本を出されましたが、その中に操体としては、決定的なミスがありました。
誤植などというものではなく、両手正面合掌で上肢を回旋させる場合に、回旋させるほうの足に体重がかかる、というイラストがありました。
この他にも幾つか指摘点があったのですが、それを三浦先生と私が出版社に伝えたところ、非常に怒られたという話を聞きました。その後、本の内容は改正されることなく佐藤氏は急逝されました。
本の内容を佐藤氏の為にも1日も早く改正していただきたいと思っています。

ちなみに、私が最初に操体を習ったのは、小林完治先生です。私は1999年に本を出すまで、小林完治先生が一体誰から操体を習ったのか知りませんでした。習った内容から言って、根本先生の連動操体に似ているような気もしていました。その後、小林完治先生から滝津弥一郎先生の講習を受講なさった話を聞きました。

なお、2013年5月に亡くなった操体道普及友の会の中川重雄先生は、関西地方で多くの支部を設立し、一般の方の健康増進法として操体を「操体道」として普及活動をなさっていましたが、先日、お弟子さんが書いた追悼文を見つけました。

大阪生まれ。市立実務学校卒業。技術軍曹で終戦。三菱重工神戸造船所に入社。独学で創造学を学び、科学技術長官賞などを受賞。自身の肝臓病を食事療法と民間療法で克服。59歳で操体法と出会う。橋本敬三先生の紹介で北田洋三先生に師事。操体技術の実践研究を始め、操体道普及友の会発足

北田洋三先生は、関西操体ネットワークの代表であり、仙台の温古堂に通っておられたそうです。三浦先生の講習は受講されていないそうです(三浦先生に直接確認)。

関西ネットワークの他の先生は、操体法東京研究会の講習を受けておられますが、北田先生はショートカットで大阪に操体を伝え、中川先生に伝わり、健康体操、養生法として神戸から関西、中部になど西日本全域に広がったのだということがわかります。

(つづく)

楽と快の違い(追記)

2016年1月追記

私の個人レッスンや、操体法東京研究会にて
「楽と快(きもちよさ)の違いがわかりません」という方がいらっしゃいます。

その時のことをブログに書いてみました。
楽と快の違いを伝えるのは、操体臨床家の役目です
(操体法大辞典より)

楽と快は違うというのは不変の事実だが、

もっとわかりやすく、

「操体では」

「楽な動きにに問いかける動診と操法と」

「快に問いかける動診を操法は」

「違います」「区別をつけています」

アナタが、楽と快の違いが分からなくても
操体指導者がちゃんと知っている。


それができるのが
操体指導者なのだ。

それをアナタに伝えるスキルを
学んでいるのが、操体のプロなのだ。

 

楽と快は違う、創始者橋本敬三先生はそうおっしゃった

 

操体の成り立ち

楽と快の違い
快は探すものではなく、出会うものである


私の「レーベンス・テーマ」(ライフワーク)は「楽と快の違い」をあきらかにすることです。

今までもブログなどで「楽と快の違い」について書いているので、是非そちらもご覧下さい。

また、東京操体フォーラム実行委員ブログでも執筆しています(2011年11月20日から26日まで畠山が担当)。

私の操体の師匠、三浦寛先生の担当は、2011年12月4日から10日です。

他の実行委員も興味深い内容を執筆しています。
実際、体験していただくと皆さん「全く違う!」と驚かれます。

 

「どちらがきもちいいですか」という誘導は、楽と快の違いを混同している

詳しく言うと、現在は「楽な動きか辛い動きか」と、二つの動きを比較対照する動診(第一分析)と、
一つひとつの動きにきもちよさをききわける、第二分析があります。
楽な動き(動き)と、きもちよさ(感覚)は、動診のやり方が違います。

私のところにいらっしゃる方の中で、一番多い悩みが

「どちらがきもちいいですか?」と聞かれても分かりませんでした、ということです

例えば、ぎっくり腰ではいつくばって来所したとします。
そこで「どちらがきもちいいですか」と聞かれたら、答えられないはずです。痛いから。

もうひとつ。
「どちらがきもちいいですか」という問いかけをしている指導者(講習をやっている方)は、
実際に患者さんを診ていないのではないかと思います。

さらにもうひとつ
「どちらがきもちいいですか」と聞かれ、「わからないから適当に答えて、行くのをやめた」
というケースも聞いています。


「どちらがきもちいいですか」「きもちよさを探して」という指導は、
橋本敬三先生はされていませんでしたし、操体のセオリー
(楽と快は違う、診断と治療の区別をつけること)に反しているのです。

「どちらがきもちいいですか」
「きもちよさを探して

あるいは、最初から、診断(動診)をせずに
「きもちよく動いて」というのは、診断をすっ飛ばしていることになりますから、
操体の臨床になり得ません。

言われたほうも、からだをごにょごにょ動かしてみることになります。
そうなると「きもちよさを探して動け」ということになります。

★きもちよさを探して動いても、「きもちよさ」はききわけられません。
診断分析で、きもちよさの有無を「ゆっくり動いて」
確認してから「きもちよく動いて」となるわけです。


楽と快の違い、を理解する前に「楽」と「楽しい」は違うということを認識する必要があります。
はづき虹映氏がメルマガでなるほど!ということを書いていらっしゃいました
(すぴナビ通信2011年10月11日、12日分より引用抜粋させていただきました。

「楽」と「楽しい」が違うように、「楽」と「快」も違うのです。

楽 ≠ 楽しい(楽と楽しいは違う)

「極楽」とは、あの世のことではありません。楽しさを極めると、ただ今、そこが「極楽」になります。
 
「極楽」とは、読んで字のごとく、「楽しさを極める」ことです。
 トコトンまで楽しさを追求すると、その時その場所が「極楽」になります。
 決して、あの世に行くことや、酒池肉林の快楽の世界に溺れることが、
「極楽」なのではありません。
 
「楽」と「楽しい」は、似て非なるものです。
 
「楽」をすることを「楽しい」と勘違いしてしまうと、 
どんどん「楽」な方に流されていくのが、自分でもわかるハズです。
 一方、「楽しい」ことを選び続けていると、 
時には辛いことも苦しいことはあるかもしれませんが、 
自らの意志で流れに乗っていることがわかるようになるハズです。
 勝手に「流されている」のか、 
それとも自ら積極的に「流れに乗っている」のかが、
「楽」と「楽しい」の違いです。
 
 
自らを監獄に閉じ込めてしまうことを「地獄」と呼びます。
「楽」な方に流されていく先のことを、人は「地獄」と呼び、
「楽しい」方向の流れに乗っていく先のことを、 
人は「極楽」と呼ぶのでしょう。
 
 

快は探すものではなく、出会うものである

 

東京操体フォーラム実行委員ブログ(2011年11月24日 畠山執筆分より)
 
「楽」と「快」の違い
「楽(なところ)」は探すと見つかる。「きもちよさ」は探しても見つからない。
「楽」は比較対照できる(相対的)だが、「快」は絶対的である。つまり比較するものではない。
 
「楽」は結果であり、「快」はプロセスである

操体の講習 なぜきもちよさを探す、のではないのか(ブログ 操体法大辞典より)


橋本敬三先生

Dr.Keizo Hashimoto, the founder of Sotai

1897年9月8日(明治30年)福島市の古関家に生まれる。橋本家の養子となる
1921年(昭和10年)新潟医専卒業、医師登録
1941年(昭和16年)仙台にて鍼と手技療法中心の温古堂医院開業
1944年(昭和19年)再応召北朝鮮へ
1945年(昭和20年)終戦後、ソ連抑留
1948年(昭和23年)ソ連抑留から帰還

書きかけです。

病気になる順番と治る順番

操体では、西洋医学の「病気になる順番・治る順番」とは順序を逆に捉えている。

クリックすると拡大します

目的に応じた操体とのお付き合い

操体の3つの場

まず、操体って何だろう?と思ったらまず受けてみて下さい。色々なサイトもあります。でも、注意していただきたいのは、「操体をやっています」といっても、色々だということです。

操体を受ける場合、大きくわけて3つの場があります。

  • 患者と操者が一対一で向き合う臨床
  • スポーツクラブ、カルチャーセンターなど、指導者が不特定多数を口頭指導する場合
  • 自宅や職場など、自力自動のセルフケアを行う

もうひとつ、操体に関わる場合の分け方として、操体の学び方、というものがあります。

  • 患者として、どこか症状疾患を抱えていて、操体を受けたい。そして自分でセルフケアできるようになりたい
  • 手技療法、鍼灸師、柔道整復師、指圧あんまマッサージ師、理学療法士、をやっているが、操体を学びたい
  • 手技に関しては素人だが、操体を勉強して操体のプロになりたい

 

■クリックで拡大します

操体の世界は非常に不思議なところがあります。本来はドクターが臨床でやっていたものなのですが、(1)の人口が非常に多いため、「操体とは健康体操だ」と思われている節もあるのです。

(1)の場合は、各地に「○○操体の会」というのがあり、生活の中に活かせる操体を広めています。ヨガや体育の先生で、ご自身が操体を学び、それを生徒さんにやってあげたい、という方もおられますが、その場合、やはりある程度時間をかけて学ぶ必要があるでしょう。

自分でできるようになるのと、他者に指導できるのとでは、スキルの差が違うのです。自力自療について

(2)の方々は、国家資格あるいはスポーツ系の資格や手技療法の勉強、臨床経験をある程度積んでから勉強をするので、その分時間的には有利です。しかし大抵は「症状疾患別」という勉強の経験があるため、操体の「症状疾患にとらわれない」「快適感覚をききわけ、味わう」というセオリーに最初はとまどう場合もあるような気がします。

(3)の、手技療法に関しては素人だが、操体を専門に勉強して、操体のプロになりたい、という方々がいらっしゃいます。本来は(3)の、まっさらな状態から操体を勉強するのが一番いいのですが、視診触診、生理学の勉強などが臨床家としてのコアスキルが不足しているため、勉強には時間がかかります。

臨床とリラクゼーションの違い

操体は医師が創案したものであるから、「診断」と「治療」が必ず存在する。

操体を学びに来る方々をみていると、最初は「治療法」(やり方)を覚えればいいんだろう、
と思っているようだが、学びが進むにつれ、診断(分析)の大切さがわかってくるようだ。

つまり、いくらテクニックがあっても、
診立て(診断・分析)がなっていないと思うような結果が出せないからである。

一時期は「整体院ブーム」で、整体院をよく見かけた。
最近はリラクゼーションサロンが増えている。
何をやっているのかというと、様々なヒーリングをやっているのである。

私は勿論ヒーリングを批判するつもりはない。
自分も外気功をやっていて、修めているからである
(今は気功治療はやっていません。念のため)。

★世の中のリラクゼーションサロンと、臨床のどこが違うかと言うと、
「診断するかしないか」である。 

ある指圧関係の本に『診断を伴わない指圧は単なる慰安行為である』と書いてあった。
指圧の学校でも「経絡は関係ない」と、単に押すこと、つまり診断抜きの慰安行為としての
指圧を教えているところが多いそうだ。 


肩が凝った、といわれて「ハイ、凝ってますね~」と肩を揉むのは
「慰安」(あるいはリラクゼーション)である。
何故肩が凝っているのか、その原因をつきとめ、
治療計画をたてるのが「臨床」である。


その原因は、肩ではなく、足首かもしれない
橋本先生の本にも、肩こりは足首の処置でよい、と書いてあるものがある。

確かに、多くの方は、「あの、痛いのはそこじゃないんですが」というが、
実際痛み(症状疾患)が起こっているところは、あくまでも「結果」にすぎない。
そこが痛いから悪いのではないと診るのである。

その原因は、息食動想のアンバランスから来ているから。
それに対してアドバイスをするのが私達操体プラクティショナーである。

世の中の人の多くは「慰安」と「臨床」の違いには
余り気づいていないのだが、この2つは似ているようで似ていない。 

なお、操体は劇的に効果がみられる場合もあるが、
やさしく、漢方薬的なのが大凡の特長である。

 

自分でできる、家庭でできるとは?

操体に興味があるという方の話を聞くと「自分でできるから」というお話をよく聞きます。

自力自療とは」もご覧下さい。


先日、私は仙台の奥座敷と呼ばれている秋保温泉の先、秋保大滝近くにある、慈眼寺に行ってきました。
慈眼寺の住職は、塩沼亮潤大阿闍梨です。吉野の金峯山寺で修業なさり、千日回峰などの厳しい
修業をなさった方です(慈眼寺は、お葬式はせず、お墓もない、ご祈祷をする修験道のお寺です)。


2016年12月、月に2回の護摩祈祷に参加してきました。

この時に「自分でできる、家庭でできる操体とは」ということを考えました。

 

お家に仏壇や神棚があります。
毎朝毎晩手を合わせます。知っているお経や祝詞の類を唱えることもあるでしょうし、
お水やお花、お菓子などを供えることは、お家でできることです。

これが、家庭でできる、あるいはセルフケアの操体だと思って下さい。

 

そして護摩祈祷の時などは、お寺に出向くとか、あるいは護摩木を書いて納めます。
私の家などは、お盆とお彼岸にはお寺の住職がお経をあげに来て下さいますし、つい先日は父の二十三回忌をお寺で行いました。

 

お坊さんに例えましたが、この、お坊さんが行うような法要や護摩祈祷、これが「操体の専門家の操体」だと思って下さい。

お坊さんも操体の臨床家も、それなりに修業を積んでいるからこそ、できることがあります。

 

密教系の本を読むと、なるほど、と思うことが書いてあります。
護摩祈祷の際、普段から仏様を拝んでいる方には、真言(マントラ)が伝わりやすいのだそうです。

操体も同じで、普段、家でできる範囲のセルフケアをしていれば、いざ、自分では手に負えなくなって、専門家の手を借りることになっても、良くなるスピードは速いのです。

 

家庭で日常的にできることと、日常的にできない、あるいは助けが必要な場合はやはり違うということです。
「操体は自分でできる」と言っても、それは「健康の度合いが自力自療に適う人」なのです。

 

 

 

 

 

自力自療とは

自力自療

自力自療、という言葉からは、自分の力で自らを治す、癒すというイメージが浮かびます。

それは間違いではありません。

これが何故か、いつの間にか、「自分で動けば治る」というように解釈され、
操体というものは、体操みたいなものだ、という誤解を生んでいる場合があります。

自分で動くのが操体だとしたら、世の中のヒトは何故からだを壊したり、
病気になったりするのでしょう。
自分で動くのが操体ならば、それにはある条件が必要です。

 

「感覚のききわけ」

操体の最大のポイントは「感覚のききわけ」を行うことによって行う診断(分析)です「感覚のききわけ」を、無視したものは、操体ではなく、単なる体操にすぎません。

それは、対なる二つの動きを比較対照し、どちらが楽かつらいかききわける、第一分析のこともあります。
一つ一つの動きに、快適感覚がききわけられるのか問いかける、第二分析の事もあります。
動けない場合などに皮膚に問いかける、第3分析の場合もあります。

★感覚のききわけに慣れていない場合には、指導者(操者)の補助が有効です。なので、私共のような操体指導者が存在するのです。最初は、感覚をききわける勉強から始め、それから自力自動(一人で行う)へと学習していくのが効果的です。


「快適感覚を、ききわけ、味わう」

感覚というのは、その本人にしかわかりません。
操体は、その人本人しかわからない感覚(例えば、動かしてみてどんな感じがするのか)を、からだにききわけ(診断に当たります)、味わう
(治療に当たります)、というプロセスをとります。

なので、ひとりでやろうが、二人でやろうが、百人でやろうが、指導者の口頭の誘導だけで行おうが、操者が存在しようがしまいが、変わりはないのです。

だから、自力自療なのです。


「きもちよく動く」のは、操法にはいってから。

  • 「楽」と「きもちよさ」の違いが分かっていない指導者が多いのが現状です。
  • 「どちらがきもちいいですか」、いきなり「きもちよく動いて」という指示を出す場合「楽」と「きもちよさ」の違いを理解されていません。
  • 操体以外の手技でしたら、それほど厳密に「楽」と「きもちよさ」の違いがついていなくても治療が可能な場合があります。しかし、操体は「感覚のききわけ」が一番重要なので、重要なポイントとしているのです。


最初からいきなり「きもちよく動いて」と言われても、わからないのは当然です。「きもちよく動いて」の指示の下には、ちゃんとした手順があります。

診断(分析)
一つ一つの動きをゆっくりと試してみる。そして、きもちよさがききわけられるかからだにききわける
「きもちよく動いて」ではなく、「ゆっくり動いて」感覚をききわけます

きもちよさ(快適感覚)がききわけられて、そのきもちよさを味わってみたいという要求の有無をからだにききわけます。きもちよさでも、味わってみたいという要求がない場合もあるからです。からだの要求を満たしていたら、そこからが「きもちよく動いて」「一番きもちのいいところまでからだのツクリを操って」「きもちよさを十分味わって」となります。これが操法(治療)です

きもちよさに全て委ねて、一番きもちのいいところで、たわめて、きもちよさを味わって、きもちのよさが消えた後のからだの要求感覚に従う(脱力)という道筋を辿ります。

自分にしかわからない感覚をききわけ(診断)、快適感覚があればそれを味わう(操法)なので、一人でやろうが二人でやろうが、三人でやろうが百人でやろうが、「自力自療」です。足趾の操法も同様です。

なので、私達は「一人操体」とは言わず「自力自動の操体」と言います。