からだとイノチがよろこぶきもちよさを伝える・操体
私の「レーベンス・テーマ」は「楽と快の違い」をあきらかにすることです。
今までもブログなどで「楽と快の違い」について書いているので、是非そちらもご覧下さい。また、東京操体フォーラム実行委員ブログでも執筆しています(2011年11月20日から26日まで畠山が担当)。私の操体の師匠、三浦寛先生の担当は、2011年12月4日から10日です。他の実行委員も興味深い内容を執筆しています。
実際、体験していただくと皆さん「全く違う!」と驚かれます。
楽と快の違い、を理解する前に「楽」と「楽しい」は違うということを認識する必要があります。はづき虹映氏がメルマガでなるほど!ということを書いていらっしゃいました(すぴナビ通信2011年10月11日、12日分より引用抜粋させていただきました。
「楽」と「楽しい」が違うように、「楽」と「快」も違うのです。
楽 ≠ 楽しい(楽と楽しいは違う)
「極楽」とは、あの世のことではありません。楽しさを極めると、ただ今、そこが「極楽」になります。
「極楽」とは、読んで字のごとく、「楽しさを極める」ことです。 トコトンまで楽しさを追求すると、その時その場所が「極楽」になります。
決して、あの世に行くことや、酒池肉林の快楽の世界に溺れることが、「極楽」なのではありません。
「楽」と「楽しい」は、似て非なるものです。
「楽」をすることを「楽しい」と勘違いしてしまうと、 どんどん「楽」な方に流されていくのが、自分でもわかるハズです。
一方、「楽しい」ことを選び続けていると、 時には辛いことも苦しいことはあるかもしれませんが、 自らの意志で流れに乗っていることがわかるようになるハズです。
勝手に「流されている」のか、 それとも自ら積極的に「流れに乗っている」のかが、「楽」と「楽しい」の違いです。
自らを監獄に閉じ込めてしまうことを「地獄」と呼びます。「楽」な方に流されていく先のことを、人は「地獄」と呼び、「楽しい」方向の流れに乗っていく先のことを、 人は「極楽」と呼ぶのでしょう。
快は探すものではなく、出会うものである
「楽」と「快」の違い
「楽(なところ)」は探すと見つかる。「きもちよさ」は探しても見つからない。
「楽」は比較対照できる(相対的)だが、「快」は絶対的である。つまり比較するものではない。
「楽(なところ)」は探すと見つかる。「きもちよさ」は探しても見つからない。
「楽」は比較対照できる(相対的)だが、「快」は絶対的である。つまり比較するものではない。
「楽」は結果であり、「快」はプロセスである
以下引き続き加筆予定です

